土壌汚染対策法が施行された翌年の2004年、当時私が在籍していた化学会社は、○○市内にある自社保有の土地の売却を決定しました。もともと工場が併設されていたその土地は、本社としてのみ使用するには敷地面積が広すぎて非効率的だったこともあり、売却後は本社を賃貸のオフィスビルに移転する予定でした。
その当時、統括部長の職にあった私は、土地売却のための入札説明会の準備をする一方で、土壌調査を行うために数社の調査会社から見積書を入手しました。
工場が、「有害物質使用特定施設」の届出を行っていたため、土壌汚染対策法に則って、土壌調査をしなければならないということを、私は初めて知りました。もっとも、法律に基づく物質だけでなく、土地売買のためにはそれ以外の全ての有害物質についても、自主的な調査が必要であるということもわかりました。
行政当局との打合せを行いながら、ある土壌調査会社を合見積もりで選定し、真夏の暑い盛りに調査は開始されました。そして、土地の表層での調査結果が明らかになったのは、入札説明会の前日の夜でした。
速報値でしたが、複数の重金属と揮発性有機化合物が、環境基準値を超過していました。
入札は急遽取りやめとなり、土壌汚染が地中のどこまで浸透しているかを調べる「フェーズ3」と呼ばれる調査が、行われることとなりました。
その頃、毎週のように行政当局との打合せが続きました。なぜなら、土壌汚染対策法により、その土地が土壌汚染の「指定区域」として公示されることが決まったからです。行政当局も初めての経験であったため、プレスリリース、近隣説明会等について周到な準備が要求されました。
プレスリリースの時期と場所、近隣説明会の場所の確保、事前説明の内容と相手、他にもさまざまな事前準備が必要でした。近隣の住民の方との打合せは、ほとんど夜に行われました。昼間のお勤めの方が多いためです。
住宅密集地であったため、説明会も複数回開催する必要がありました。汚染物質による健康への影響がないことを住民の皆様に理解していただくのは並大抵ではありませんでした。同時に、対策工事の提案を複数の業者から受け、莫大な浄化コストが妥当なものであるかどうかをコンサルタントに依頼して検討し、工事はようやく始まりました。もちろん、工事が始まれば安心というわけではなく、騒音や埃を最小限に抑える努力が欠かせません。工事中も、幾度となく住民説明会を開催しました。予期せぬ事態に備え、休日も携帯電話を離せませんでした。
工事は1年以上に及びましたが、近隣住民の皆様、行政当局、施工業者、コンサルタントなど、数多くの方々の協力と、円滑なコミュニケーションなしには、土壌汚染対策工事を無事に完了することは難しいとあらためて実感します。